<暫定日記 10月号>



 

 9月号 10月号 11月号

 


  

桑島法子の旅ゆけばフォークフロア


 今日は、山口大学のTV文化研究会(テレ研)のイベントがあるので、握手0.5秒の人と二人で山大の本学に出撃。久しぶりのイベント参加なので、大変楽しかった。ほーちゃんがパーソナリティのラジオ番組の公録、というスタイルでの進行だったんだが、これが結構おもしろくて、今年は企画の勝利かねぇと思った。  ……これ書いてるの2か月後で、レポ書けるほど気力ないんでこれだけ(汗)  とりあえず、らりるんが大変羨ましがっていたので、終わった後に遅い昼食をと入ったモスバーガーから電話してやった(笑)

(10/31/1999)


  

大江戸歌声網


 今日から1週間、拙者は旅の空である。10/25〜10/29 の期間で Oracle の講習会を神田で受講することになっていて、それならばせっかくだから前後の土日を有効活用すべく、金曜の夜の寝台特急に乗り込み、土曜は朝から久々の首都を堪能しているわけである。こういう日に限って、普段は短い営業所での会議がやたら長引いて、危うく寝台に乗り遅れるところだったりなんかしたのはご愛敬。

 まずは手始めに、東京在住時代の大家さんを襲撃訪問。お土産なぞ渡してみたりする。高齢の方なので、元気そうな姿にちょっと一安心。

 続いて、近くのコインランドリーへ(笑)持ってきたズボンを洗濯機にシュート、そのまま読書モードへ。金曜の朝に出張支度をしていたら、なんか普段着のズボンが埃まみれになってて、もう洗ってる暇もなかったし、とりあえず東京に着いてから時間があるからそっちで洗おうと思って、んで、こうして間抜けなことをやっているわけだ。
 洗い上がったところで乾燥機に移し、コインを投入したところで、思うところあってヨドバシカメラに移動。目的は、PHSの機種変更(笑)実は拙者、携帯電話もPHSも、東京にいたときの契約のまま山口に持って戻っている。電話番号を変えるのが嫌だったからなんだけど、当然近くにサービスセンターなんぞないから、機種変更などはこういう機会を逃すとなかなか面倒なんである。

 さて、変更する機種だが、実はもう出張前から(ベスト電器で下見して(笑))決めてある。日本無線のAJ-32だ。理由は3和音着メロ(笑)
 今まで携帯電話で3台、PHSで2台ほどデンソー機種を続けて使ってきたわけなんだが、実はこのチョイスの最大の理由が「着信メロディに強い」というだけの理由だったりする(笑)(正確には、最初に買った携帯電話はまだメロディ着信音というものが出現する前の話しなので、これはまた別なのだけれど)
 そんな拙者に、このAJ-32の「3和音着信メロディ」の魅力はあまりにも大きかった、いや、大きすぎたといってもいい。ここしばらくのデンソー機種展開にはちょっと残念な点も多かったし、ちょっと浮気してみたくなるのが人情(そうか?)、「出張のときには必ずAJ-32に機種変更するぞ」と心に決めていたのだ。

 さっそくヨドバシの店員に「機種変更したいんスけど」とアプローチを計る。そう、1年ぶりに東京にきてちょっと驚かされたのがこれだ。なんか、量販店で機種変更できてしまうのである。新宿にはアステルショップが無いから、時間の取れるときに池袋にいかなきゃならんかなぁ…と思っていたんだけれど、お蔭で手っ取り早く、それも洗濯の合間に(笑)機種変更の手続きが取れた。世の中気がつくと便利になっているもんだ。開通までおよそ30分ということで、だいたい読みどおりの時間だ。再びコインランドリーに引き返してズボン回収、そのまま歩いて東京オペラシティビルのトイレで着がえ(笑)、ヨドバシカメラに戻るとPHSは開通済みである。なんかものすごい効率の良さだな(笑)

 適当に昼飯を喰ったり、買い物をしたりしつつ新宿パセラに移動。実は、関東のアニソンカラオケサークル「ブレーメン」の方とミニオフ会なのだ。好きだね、拙者も(笑)

 パセラで数時間歌った後、なにやら「プコタン料理」なる食事を夕食に、ということなので、おそるおそるついていく。一体全体どんな怪しげな料理が出てくるのかっ…!? と思っていたが、名前のわりに至極真っ当な料理が出てきて驚いた(失礼)。簡単に言うと、焼き肉喰った後にしゃぶしゃぶが喰えるという趣向のものなんだが、焼き肉の鉄板の下にしゃぶしゃぶの鍋があって、先に焼き肉を食べると、その肉汁が鉄板から鍋に落ちて味が付くという、合理的なようなそうでないような仕組みになっている。けっこうな分量が出てきて、小食の拙者には十二分であった。

 さらに三次会でもっかい数時間歌ったのち、らりるんの家に移動。眠いのでいきなり寝た(笑)

(10/23/1999)


  

銀色ボディのイカす奴


我が家のビデオ機器群
上から順にドリームキャストとDST-J900、SLV-FX1、WV-BW3、WV-H2、セレクタども、CLD-R7である。なお、目下R7は映像を接続していない(線が足りなくて(爆))

 というわけで、先日購入してしまった WV-BW3 が我が家にやってきた。さっそくビデオ機器を束ねるラックに入れてセッティング。実は半年前に別の部屋から移動したときにとりあえず置いた位置そのまま、それ以来忙しくてちゃんと部屋を片づけてない状態なので、やたら配線がし辛かったりするのは秘密。

 さっそくいろいろと使ってみる。WV-H2 と比べると、Hi8とVHSの間での編集がかなり使いやすくなってる。やはりクリックジョグシャトルの恩恵が大きいだろう。
 メカ部分の性能は特筆事項なし。基本的に、高級Hi8デッキという路線をソニーが放棄して以降、Hi8のメカは進歩も進化もしていないはずなので、とりたてて何があろうはずもなし。NS7000 や BS2000/BS3000 と比較してはいけない。泣けてくるから。

 とりあえず、これで冬のボーナス昇天確定(泣)

(10/19/1999)


  

自爆王参上


 はっはっは。
 買ってしまった。WV-BW3。どうせ衛星放送のチェックはすめさんに任せてあるから、安い WV-H6 でもいいかなとも思ったんだけど、やっぱり前面入力とジョグは捨てがたいのでこっちにした。ジバクくん人生まっしぐら。なお火曜日納品。

 ついでに、倉庫に放置されていた廃棄処分予定のターンテーブルをもらった。フロント ドアがスライドアップして、テーブル面がせり出してくるという、カッチョエエんだか単に邪魔になるだけなんだかよくわからないしろものだ。少なくとも、上に物が置けるのは便利だろうけど。

 はっ、アナログ盤どこに保管してあるんだっけ。

 ………里親募集。

(10/16/1999)


  

洗浄の狼


 さっそく、昨日引き取ったXa7eを分解して、隅々まで徹底的に洗ってみた。下は洗浄後の写真だが、この写真だけ見ると、これが埃まみれだったとは思えない。思わず、他のPCも洗いたくなってきた(笑)

綺麗になったXa7eを激写。
こちらが、そのXa7e。ちなみに、後ろに写ってる黒いやつが、一昨日壊れた WV-H2 だ。
 そこな諸兄、もし手元のPCが古ぼけてきて、どうも愛着が薄くなってきたなと感じたら、一度丸洗いしてみるといい。新品同様になって蘇ったPCを見れば、デートの日にとっておきの服を着てきた恋人のごとく、思わず惚れ直してしまうこと請け合いである。

 なお、「1か月に1度はなにかパーツを買い換えてる」という贅沢者、「PCなんて所詮道具だもん、1年もしたら新しいのを買うよ。え? 古いPC? そんなもん、ただの粗大ゴミじゃん」などという不届き者、それから恋人の売り手市場にいる羨ましい者(笑)には、上記は無関係なので忘れてくれたまえ。

(10/14/1999)


  

残骸回収班


 我が家には目下、「まろん」「洋子」「アスカ」「カスミ」「ホウメイ」の5人…いや、5体のPCが存在する。従前の用途としては、maronがWindows主力&MS-DOS(ていうかFMP)マシン、yohkoがMegaWaveクライアント、asukaは持ち運び用、kasumiが唯一のAT互換機のため各種開発用途、そしてhoumeiさんはネットワークのドメインマスタ兼ダイアルアップサーバだ。
 だったんだけど、やっぱりmaronに挿している86ボードをyohkoに差し替えて、maronはWindows、yohkoはDOSに専業させてやろうと思ったわけだ。ていうか、FMPデータをベースにしたBM98のデータを作っているときに死ぬほど不便だったんで(^_^;

 で、とりあえず86をyohkoに移設して、いじってみると…う゛、ぅぅぅ…死ぬほど使いにくい。既に MIFES for Windows と VJE-Delta に慣れた人間は、MIFES v5.5 と VJE-βを使える体ではなかったのである(;_;)
 かといって、DOS窓でFMPするのは9月20日に死ぬほど不幸なことを確認したので避けたいところである。どう不幸かというと、とにかくいろいろ不幸なんだが、なんといってもテンポがよたりまくって、PCMが飛びまくるというのは、音源ドライバとしては究めつけに不幸だ。
 ハンダごてを使わないでできる98としては K6-2/400MHz というのはかなり究極の状態なので、これで追いつかないもんは、それこそPentiumIII/500MHzの9821Ra400(一部に実在する)とかK6-III/511MHzの98Xv13(これも一部に実在)でも持ってこなけりゃどうしようもないわけで、つまり諦めろってことだ。

 打開策はいくつかある。

  1. 再び98DOS環境に慣れてしまう
  2. DOSのディスクにWindowsで編集する
  3. DOSにMicrosoft LAN Manager を入れる

ざっと挙げてこの3つだろう。このうち、1は早々に挫折した(笑)中途半端に似ているがゆえに、慣れがこないのである。慣れたら慣れたで、MIW5の機能を期待して「なんでこんなこともできないのー!?」となる。なんといっても、アンドゥができないのは痛い。(^_^; 2は、ようするにWindowsとMS-DOSを使い分けようということなんだが、これではわざわざyohkoに86ボードを移設した意味がまるで無い。ということで、結論としては3番で、ネットワーク経由で MIFES for Windows を使ってやることになる。

 ということで、早速 LAN Manager を入れてみた…ところで最大の問題に気がついた。LANMANてぇものはそもそも、Microsoft Network のクライアントなのである。つまり、LAN Manager側のディスクを共有させてやることはできないのだ。ということは、ファイルサーバとなるマシンにFMPのデータをおいて、そこを共有してやるしかない。

 ここで我が家のマシン構成を振り返ってみると、yohkoは当事者である。maronはWindowsマシン、kasumiもWindowsマシン、asukaはラップトップ。ということは、常に電源を投入されているのは、ネットワークマスタたるホウメイさんだけなのだ。しかし、彼女の110ピンコネクタは、あろうことかLANアダプタに占領されているではないか! これを外せば、110ピンタイプのSCSIアダプタを増設し、FMPデータを格納できるだけのディスクを接続できよう。しかし、それでは肝心のネットワークに接続できないのだ!
 それなら、maronかkasumiをファイルサーバにすればいいとお思いかもしれない。しかし、maronは常用のクライアントマシンであるから、ファイルサーバにするほど安定して動かしていられることは望めなまい。ならばkasumiを、と思いきや、こいつには「極端に空冷ファンがうるさい」という、ご家庭ファイルサーバとしては致命的と言ってもいい欠点が存在するのである。

 が、しかし、なければ作ればいい、がパソコン趣味の人間の常套句。当然こんなことで挫折できるほど諦めはよくないのだ。前にyohkoのFDDが死んだとき、ちょうどパソコン工房でジャンクで売り出しに出ていたXa7eがあって、「そいつのFDD売ってください」つったら「\500-でどうぞ。ついでに筐体ごとどうですか?」と言われたことがあった。そのときは「んー…考えておきます(笑)」とか言っておいたのだが、これを引き取ってファイルサーバにしてしまえば、全てが解決する。しかも安価に。

 というわけで、さっそく仕事帰りにパソコン工房に出向いて、Xa7eだった物体を引き取ってきた。しかしまぁ、汚いこと汚いこと。すめ邸に長期放置したyohkoだってここまでは汚れてないぞ、ってくらいの汚れっぷり。とりあえず、分解して洗ってやろうと心に決めつつ、寝る(笑)

(10/13/1999)


  

場所トリませんハイエイト 死亡


 この春以来、デジタルCSに地上波にと大活躍してくれていた、WV-H2のHi8側のヘッドがついに逝去なさったようだ。前にも一度、信号を拾わなくなったことがあって、そのときは綿棒を駆使してなんとか復旧させたんだけど、今回はどうも駄目くさい。
 うーん、いまさらVHSなんて、ワンダースワン2個よりでかいような巨大構造物は使いたくないしなぁ…どうしよう。
 
 ていうか、「場所トリ」のCMを憶えてる人がいるのかね、今どき(^_^;

(10/12/1999)


  

復活の刻


 昨日の実験結果により、AptivaのセンはきれいさっぱりあきらめFLORAでいくことにした拙者。しかし、いくらなんでもClassic Pentium(133)では不幸過ぎるので、ふらふらっとパソコン工房へ。あの緑色が眼前を過ったような気もするが、きっと幻だろう。ていうかあれはオブジェ。でなきゃ剣山。

 店長殿ととりとめもなく雑談をしつつ、CPUを物色する。

 「WinChip2と相性が悪いんですわ」
 「へぇ、珍しいですね」

そりゃそうだろう。拙者とて驚いたわ。

 「しかたがないから、MMX Pentiumでも付けてみようかなと」
 「動きますかね」
 「マザーには一応、P55Cってシルクがあるし、ゲタも持ってるから、動けばいいなーってくらいで」
 「でも失敗したら痛いですよね。結構お高いですし」

ぐぅ。そうなんである。たしかに、P55CがヘタなCeleronより高価なパーツとなってしまっている今、動かなかったらイタすぎる。ほかに挿すマシンないし。

 「ま、CPUが動かないのは慣れてますよ、例の緑色ので」
 「ははは」

ヤケクソ気味の会話を済ませた後、覚悟を決めてP55C 233MHzにダイヴ。\7,800-。

 さっそく帰宅して装着…するのもちょっと一苦労。今となってはレアなLPXマザー(ISA/PCIのライザカードが、マザーボードと平行に装着されるタイプ。NLXの場合は垂直)なのだが、SIMMソケットがCPUの直近にあるもんで、空冷ファンが外しにくいのだ。なんとか精密ドライバーでこじって外す。いつか壊しそうでイヤン。
 外したWinChip2と入れ換わりに、PL-Pro/MMXに装着しておいたP55Cをソケット・イン。おそるおそる電源を投入すると…ふぅ、ひとまずBIOSは起動。フロッピーブートして、CD-ROMからWindowsセットアップを起動すると…動いた! P55Cは大丈夫らしい、今のところは(^_^; なにしろWindowsなんて少々メモリが腐ってても気づかず動き続けるOSなので油断はできない。順当にセットアップが終わったところで、今度はFreeBSDをインストールする。これなら、データが腐れば即panicなので、問題があればすぐに察知できるだろう。セットアップ・オプションを決め、展開するファイルを選び、いざインストール決行。しばらく待ち長いので、飯を食うことにした。

 食事を済ませて戻ってくると、そこには無事起動したFreeBSDのカーネルメッセージが残っていた。これならもう大丈夫だろう。ついにkasumi、復活である。時は既に午前4時。さすがに眠いので速攻で寝た。

(10/07/1999)


  

Aptiva夢物語


 続編。

 今ここに一台のAptivaだったものが置いてある。ゆげ氏がすめ邸に放置していったもので、元をたどればパソコン工房で\1,000-で買い受けてきたそうだから、FLORAと同類の過去を持ってるわけだ。もしこいつにパーツを移植して動けば、これはもう言うことないのであり、試してみる価値は十分にある。ということで今日も分解に励む。なにせCPUからメモリから全部無いので、まるごと移植せにゃ動かんのだ。

 落武者ども二体と格闘すること数十分、ようやく移植が完了。さっそく起動…しねぇ(;_;) ブートコードを認識していないようなフシがあるので、フロッピーからブートしてfdiskを起こしてみる。総容量4,294,966,272バイトと表示された時点でかなり嫌な予感はしていたのだが、「きっとBIOSを使わないFreeBSDならディスク全体を使ってくれるに違いない」という希望(自己欺瞞ともいう)のもと、リトライ&エラーを繰り返す。しかし、どうあがいても、「リブート後にドライブそのものを認識しない」という現象は解決できそうにない。

 結論

 このAptivaのことは見なかったことに決定。あれもラヴ、これもラヴ。ちょっと部屋が狭いような気がするのもラヴ。うふ。

 ていうか結局何も進展してないな。

(10/06/1999)


  

相性の神 降臨


 昨日の続き。HDDを初期化しても駄目なもんは仕方がないので、ちょっと息抜きにFreeBSDを入れてみることにした。kasumiは悲しいことにEl torito bootable CD-ROMが使えない(というか挙動が不審)ので、ブートイメージ入りのフロッピーから起動する。う、とろい…同じ1.44MBのフロッピー起動でも、ここまで違うかというぐらい遅いぞ、AT機。同じNEC μPD765Aで制御しているんだがなぁ…(もちろん、μPD765Aそのものが載っていたのはPC-9801VMやIBM PC/XTくらいまでの時代の話であって、今ではサウスブリッジやSuperI/Oチップに互換回路が集積されているわけだが)。
 それはさておき、さっそく起動したsysinstall(FreeBSDのinstaller)でてきとーにインストールする…とkernelがpanic(;_;) signal 11で落ちる。何回やっても、落ちる、落ちる。

 signal 11で落ちるということは、である。どうもこれはメモリ周辺でデータが腐ってるらしい、Windowsのセットアップに失敗するのも多分CD-ROMから読み出した既にデータが腐っているのだろう…そう考えて、今度はWindows CD-ROMのセットアップを直接叩いてみた。予想どおり「キャビネット〜」のエラーで失敗する。このCD-ROMはもともとちゃんとセットアップできていた板なのだから、これはもうデータが腐ってるに違いない。というわけで、メモリを挿す場所を変えてみたり、別のSIMMと変えてみたり、キャッシュを無効にしてみたりと、あれこれつついてみたのだが、どうもうまくいかない。バス上でデータ化けしているのには間違いないだろうから、これはハード的に死にかけてるのか…? と思い始めたところで、ふと一つの可能性に気がついた。

 いま、kasumiにはIDT C6-2(WinChip2)が挿してあるんだが、そういえば前はP54Cを挿していたような気がする。ひょっとこして、C6-2との相性が悪いのか? C6-2のP54C互換性はかなり高いはずなんだが…? 期待半分あきらめ半分、C6-2を抜いて、P54Cに差し替え再起動。おそるおそるCD-ROMから直接セットアップを叩いてみると…はたしてセットアップは起動した。なんの問題もなく。

 なんでやねーん!

まさか、C6-2と相性が悪い基板があるとは思いもよらなかった。Socket5のPC-9821でさえ(失礼)動くのになぁ。しかし、これでは当面のメイン環境がP54C-133MHzという悲惨な状態になってしまう。

 ぴーんち!

寝た。

(10/05/1999)


  

悪戦苦闘


 相変わらず、自由にできる時間を削りに削ってPC環境再編中。博多出張のおりに買ってきた DJNA-370910 を早速kasumiこと、日立FLORAの残骸に余りパーツを積載して復活した我が家5台目のPCに接続だだだ。AT機はこれが初めて(マジ)なので、ちゃんと認識してくれるのかが非常に心配だったが、なんかすごくすんなりと、さも当然のように認識してくれて拍子抜け。

 さて、とても機嫌がよくなった拙者は続いてWindowsをセットアップすることに。このマシンはFreeBSDをメインにするつもりなんだけど、くそったれM$なOSは、インストールすると有無を言わさずマスターブートレコードなる部分を勝手に書き換えて、自分しか起動しなくしてくれるんだとかで、先に入れておかないと危ないってことだそうだ。さすがはくそったれ。早すぎたんだ、腐ってやがる。ちなみにマスターブートレコードっていうのは、どうもハードディスクの最初に格納されている起動コードのことらしい。ていうことは、PC-98x1でいうところの「固定ディスク起動メニュー」みたいなもんか。
 そんなわけでセットアップ。Windowsはちょっとした設定、特にネットワーク関係の設定などをすると、変更点が微細でもOSのインストールCDを要求しやがるのはご存じのとおり。さすがにそんな面倒はしたくないので、インストールイメージをまるごとHDDにコピーしておいて、そっからセットアップするのは常套芸。さっそく zcopy q:\japanese.at\win98 a:\windows\options\cabs /s[CR] した後、のんびりと待…たなくても数分で戻ってきた。さ、さすが40倍速CD-ROM。ということで setup[CR] ……「キャビネットファイルの破損が検出されました。セットアップを終了します。」 はぇ?

 それから後、HDDの初期化とコピーとを繰り返したがどうやっても起動しない。睡眠時間もかなり差し迫ってきたので、翌日に持ち越し。

(10/04/1999)


  

博多・大雨


 今日は、はるばる博多まで、Oracle Master の Silver 認定試験を受けにやってきた。ほら、一応データベース屋さん指向だし。まあとりあえず試験には合格。ていうか1年半も Oracle で仕事してて受からなかったら恥。とはいえ、受講前は会社のいろんな人から「受かってこい」「受かって当然」などと温かい励ましの言葉を頂いたんで、さすがに緊張したけど。

 で、せっかく博多まできたんだから、お買い物ぉ〜と思ってバスに乗って、天神バスセンター前で降りたらいきなりドシャ降り(T_T) それも、視界が一面雨滴に閉ざされ、あら今日は景色が白いわねぇ奥さんなどと曰ってしまうくらいの勢いで。しかも困ったことに、大丸側のバス停に着いたもんで、大丸の前で雨宿り…。まだしも西鉄バスセンターの方ならよかったのにアンタ、大丸で何しろっての。仕方がないので、らりるんに電話でもして時間を潰す。

 雨が上がるのを待って、行動再開。とりあえずZEEXに行って、ふらふら、ふらふら…。を、ハードディスクが山積みだ。IBM DJNA-370910 が \13,000- かぁ。しかしなんでこんな山積みになってるんだろ。普通なんぼなんでも、単一機種を30個もそのうえも在庫はしないと思うんだけどな。…えーなになに、「発注がダブッたため、特価です」さいでございますか(^_^; かなり迷ったが、せっかくだから買った。

IBM DJNA-370910

 よく見ると、なかなか奇妙なHDDと見受けられる。見るからにIBM製なのだが、NECのシールが貼ってある上に、さらにLogitecのシールまで…(笑) IBMからOEMを受ければいいんじゃないかと思うんだけど。

他にもいろいろ食指は動くのだが、いかんせん今日は資金がない。あきらめてその場を離れ、また市内循環バスに乗り込んでキャナルシティに移動。ここでは買い逃していた文庫を補完するつもりだったのだけれど、そしたら

DEVICEREIGN 公式攻略ガイド&ファンブック

これ発見。なんで今ごろになって見つかるわけ? もう地元の書店で発注かけたってば。んでも、発注したからって必ず入るとも限らないしなぁ、どうしよ…。えーいままよ、もし入荷したら保存用にするだけのことよ! 潔く購入。

JR九州 省エネ・チャレンジ’99ポスター居酒屋?「おやじ倶楽部」 そうこうしているうちにいい時間になったので、移動。キャナルから博多駅は近いので、徒歩で行く。途中で居酒屋らしき、変な名前の店の看板を見つけたので撮影したり、JR九州の素晴らしい壁広告をみつけ、通行人の視線を物ともせずに(いやちょっと痛かったけど)撮影したりなどつつ、10分も歩くとそこは博多駅。普通なら新幹線に乗って帰るところだろうが、せっかくなので、前から乗ってみたいと思いつつも機会がなかった、L特急「ソニック」に乗ることにした。ちうか、ソニックに時間を合わせて駅に戻ってきたんだけど。発車が18時10分、駅に着いたのが18時。我ながら見事だ。

JR九州883系特急型電車「ソニック」 うーん、すげーフォルム。良くも悪くも、変わった車両はJR九州の独壇場だなぁ。なんでも、JR九州は社長が技術畑で、こういうのにどんどん開発のゴーサインを出すんで、結果としてこういう車体が増えていくんだそうな。エライぞ社長!!! 本当は車内のほうがもっとスゴイんで、ぜひ写真に収めてやろうと思っていたんだけど、駅弁にビールかっくらったら見事に眠りこけた( _ ; ちなみにお弁当は、博多駅で買った「筑前煮弁当」だ。賽の目サイズの小振りな筑前煮がなかなか美味であるので、もし博多に行かれた向には賞味あれ。

 そんなこんなで、出張なんだか道楽なんだか分からない博多行は幕を閉じた。こんなんで、ええんかいな(爆)

(10/02/1999)


 

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